2021/03/22

宇津ノ谷峠を巡る健康ウォーキング


1-1 受付で参加手続きをする人の列


1-2 健康チェックなどをする出発前の光景

1 官民コラボの健康ウォーキングの開催

コロナ禍で、どうしても家の中に閉じこもる生活が続きがちな昨今です。そこで、コロナ対策を講じながら、「宇津ノ谷峠を巡る健康ウォーキング」を天神屋とNPO法人丸子まちづくり協議会が主催して、静岡市道路計画課や静岡県立大学などがサポートする形で令和3年3月20日(土)に実施されました。健康ウォーキングへの関心の高さもあるが、旅ブームのきっかけづくりに一役かった弥次さん喜多さんの演出による旅の楽しさも味わえることを期待して、当初の定員の100名超え120名近い人の参加と盛況でした。
集合(受付)場所は、道の駅宇津ノ谷峠(静岡市側)下り店舗前の特設テントを設置して行われ、ウォーキングのゴールも同じ場所でした。参加者は受付時に健康チェックを受けていただき、希望者には各自の血管年齢や自律神経のチェックも行われていました。今回の健康ウォーキングは5㎞と決して長いとは言えない歩行距離でしたが、近世に旅の難所と言われただけに、足場の悪い山道もあってか、比較的若い人の参加が目立ちました。幸い天気にも恵まれアクシデントなどもなく、全員の方が無事ゴールされました。


2-1 宇津ノ谷集落を説明を受けなが歩く


2-2 慶龍寺の十団子とその伝説

2 江戸時代のたたずまいを残す宇津ノ谷集落

宇津ノ谷集落から宇津ノ谷峠を越えて、明治トンネルと大正トンネルをくぐって、坂下集落を経由して蔦の細道に再び登って道の駅のゴールまでの区間は、距離こそそれほど長くはないものの道がわかりにくい。そこで、参加者の道案内と途中の歴史的のものや文化的のものを説明するため、ほぼ参加者7人を一つのグループにして1名のガイドが付きました。ガイドはNPO法人静岡市観光ボランティアガイド駿府ウエイブが担当しました。グループ分けは受付場所への到着順に行われ、17グループは順時出発しました。健康ウォーキングということで、企画上は健康のために歩くことに重点がありましたが、子どもさんも若い人もガイドの話によく耳を傾けていました。
宇津ノ谷集落は、岡部宿と丸子宿の間にあった間の宿(あいのしゅく)で、江戸時代から明治にかけての街道の面影や街並みを大事に保存している地区です。間の宿とは、幕府から正式な宿場としては認められていない、休憩所的な位置づけの集落です。ここには豊臣秀吉が小田原攻めの時に、馬のわらじを求めて寄ったという「お羽織屋」と称する茶屋あります。
この地には、弘法大師の作と伝承されている延命地蔵尊が安置される慶龍寺があります。この地蔵尊は元は峠にあった地蔵堂に置かれていたといわれ、本尊は十一面観音菩薩です。ここの縁日の8月23日・24日には、魔除けのお守りとしての十団子が売られています。境内にはこの十団子を句にした許六の句碑があります。「十団子も 小粒になりぬ 秋の風」の句は、師匠の松尾芭蕉に絶賛されたと伝えられています。また、参加者は十団子にまつわる鬼と地蔵の物語に聞き入っていました。


3-1 宇津ノ谷峠 明治トンネル 藤枝市側入口


3-2 同トンネル静岡市側入口広場

3 今に残る宇津ノ谷の明治トンネル

宇津ノ谷の明治トンネルは、明治7年に有志による出資で工事を着工し、同9年に完成した有料のトンネルでした。ところが、明治29年に灯りのカンテラの火がトンネル内にうつり、火災となり崩落してしまいました。今在、存在している明治トンネルは明治35年に静岡県により再建されたものです。宇津ノ谷には明治トンネルの他、大正トンネル、昭和トンネル、平成トンネルが現存しますが、それぞれの時代のトンネルが確認できる全国でも珍しい所だそうです。
明治トンネルを、今回は藤枝市(岡部)側から入り静岡市側に抜けましたが、トンネル内の照明に歴史の積み重ねと、柔らかな温もりを感じました。参加者も感慨深げにトンネル入り口の要石やトンネル内の壁に使っているレンガを、しげしげ眺めていました。通行が有料との説明に、参加者から通行料の質問が出ていました。


4-1 羽倉簡堂 蘿径記


4-2 つたの細道公園付近を歩く参加者

4 坂下集落にある蘿径記(らけいき)や坂下地蔵堂とつたの細道公園

坂下集落の同じ敷地内には、羽倉簡堂の蘿径記や坂下地蔵堂があります。羽倉簡堂は1830年から9年間、駿府の代官を勤めた歌人です。江戸時代には、宇津ノ谷峠越えが東海道として整備され、奈良・平安時代から戦国時代前期まで利用されていた蔦の細道が、廃道に近い状態に忘れ去られたのを嘆いて建立された石碑です。漢文で書かれていて馴染みにくい文字ではありますが、参加者は200年近く前の文化人に興味をもっている様子でした。
※蘿怪・・・「蔦の細道」のことです。
古い建物の坂下地蔵堂は扉が閉まっていて、中を見ることはできませんでした。この宇津ノ谷峠付近には多くの地蔵堂があるのが特徴です。地蔵さんはインドの大地を起源としていて、中国に伝わり地獄で苦しむ人の救済する役割を果たし、日本にもたらされました。日本では峠の他、村境や川の土手などでよく見かけます。あの世とこの世を繋ぎ、苦しみから救済する存在なのでしょうか。この坂下地蔵は、別名「鼻取り地蔵」とも「稲刈り地蔵」とも呼ばれ、いずれもこの地に住む百姓の重労働からの救済を地蔵が代わってする物語から命名されたそうです。参加者には若い人もいましたが、予想以上に関心を示していました。
このつたの細道公園で7人ずつのグループは解散し、ここからは要所に市役所の職員などが立っている道を通って、蔦の細道の峠越えをしました。文字通りの健康ウォーキングの始まりです。


5-1 蔦の細道の峠にある在原業平の歌碑


5-2 蔦の細道お峠で休憩する参加者

5 蔦の細道の峠にある在原業平の歌碑

蔦の細道の歴史は古く、7世紀半ば過ぎの天智天皇や天武天皇の時代には開発されていたようです。それ以前は、それより南側の焼津の花沢集落から小坂までの日本武尊も通ったという道や、焼津の小川から用宗に抜ける道などが利用されていたようです。蔦の細道の名を世に広めたのは、在原業平の「駿河なる 宇津の山辺の うつつにも ゆめにも人に あわぬなりけり」の歌です。文字面を追っただけだと、この蔦の細道では人には会わず寂しい所であったと解釈しがちであるが、逢いたい女性に逢えぬ恋心を詠った恋歌だそうです。この歌碑は蔦の細道の峠に建立されています。海抜210mとそれほど高くはないけれども、海抜170mの宇津ノ谷峠より少し急な坂道で行程が長めです。そのため近世には敬遠されたようです。
歌の意味を理解できているかどうかは別にして、在原業平の歌碑とともに記念写真を撮る参加者の姿が目立ちました。峠には多くの参加者がくつろいでいて、どの人の表情にも爽快感や解放感があふれていました。また峠を下ればゴール地点にたどり着けるという、もう少しのところだという満足感が表情から感じられました。


6-1  健康ウォーキングの後、出店の産物を見る姿


6-2 参加者に配られた弁当(写真はイメージ)

6 スタート地点でもあるゴール地点の道の駅での状況

ゴール地点に戻った参加者の表情は、新緑と桜の花の咲く山道を歩き通したという達成感で明るく輝いていました。そして、係の人から弁当が配られましが、今回の企画は単に健康ウォーキングということにとどまらず、健康に配慮した「静岡県立大学(健康食イノベーション推進事業)とお結びで有名な天神屋のコラボ弁当」でした。それだけに、弁当にはヘルシーな野菜だけでなく、栄養価のある肉や魚もふんだんに入っていました。道の駅のベンチで弁当を開く人やお土産に弁当を持ち帰る人などさまざまでした。また地元の農産物を土産にする人などもいて、下山後も道の駅は賑わっていました。
今回の参加者は、子どもさんを始め比較的若い方が目立ちました。しかも、マナーもよく、主催者側にとっても対応しやすかったのではないでしょうか。そして何より、数日前の天気予報が外れて天気に恵まれ、暖かで歩きやすく、桜の花が彩を添えてくれていたことです。そして、全員が無事にゴールできたことは何よりです。
事務局が集計したアンケート結果によると、健康ウォーキング全体に対する評価もガイドの評価もともにかなり良い結果だったそうです。次も是非、このようなガイド付きの健康ウォーキングに参加をしたいという感想が寄せられたようです。

取  材:生きがい特派員  早川和男

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