2021/05/21
「80歳記念世界一周旅行」吉野登世子さん
天竜浜名湖線の三ヶ日駅の近くに、萬屋旅館という趣のある昔ながらのお宿があります。
このお宿の女将さんが吉野登世子さん(83)。この方が80歳の時に、なんと1人旅で世界一周をされたという噂を聞いて、その時のお話を伺いに行ってきました。
登世子さんが旅をされたのは平成30年の4月14日~6月18日まで。なんと66日間もの長丁場の旅です。もちろんツアーではありません。旅の予定は全て自分で立てて、交通機関と宿の予約だけは日本で予約をして行ったものの、後は全て自由に気の向くままの行動だったそうです。
旅の大まかなルートは、成田→インド→ケニア→スイス→イタリア→ペルー→エクアドル→アメリカ合衆国鉄道横断→オーストラリア鉄道横断+縦断→羽田。まさに世界を縦横無尽に駆け抜けたことになります。その勇気と行動力には驚かされます。
ここまでお話を伺って、まず気になったのは登世子さんの語学力です。いくら旅の基本的なプランの予約だけは済ませているといっても、実際にホテルにチェックインしたり、電車などに乗車する時には当然それなりのコミュニケーションが求められます。ましてやツアーではない自由な1人旅ですから、予期せぬ出来事だって予想されるわけで、そのような時はどうしていたのでしょうか。
登世子さん「単語とか動詞とかを並べれば、大抵のことは何とかなりました。家族からは、“その程度の語学力でよく行ける!”などと言われましたが、どこの国でも年寄りにはみんな優しくしてくれましたよ。つたない言葉でも一生懸命聞いてくれましたから、大体やろうと思うことはみんなやれました。計画したことでやれなかった事はほぼ無しです」
とのこと。もちろん小さな事では思い通りにならなかったようなこともいくらかはあったようです。例えばある目的地に向かう時…電車の切符そのものは日本で押さえてありますから、間違いなく乗車をすることはできるのですが、いざ窓口でどのような席に乗るかということを聞かれて意思疎通がうまくいかず、不相応とも思えるような豪華な席に案内されてしまったり、逆に長距離だから寝台の楽な席を確保しようと思っていたら、間違ってローカルの固い座席だったりといった類のことです。
登世子さん「そのぐらいは私の語学力ですから仕方ないです。ですから、豪華な席になってしまった時は、中世の貴族にでもなったつもりで贅沢を楽しみ、逆の時には現地の庶民の生活をリアルに体験させてもらえていると喜ぶようにしていました」
大きなトラブルがなかったことについては、登世子さんは「私は運が良かったんです」と言いますが、それでもお話を伺っていると非常に注意深く行動をされていたことがわかります。自分に課したルールとして“暗くなったら出歩かない”“危ないと言われるところには行かない”“不衛生そうなものは食べない”など、よっぽど不可抗力の時を除いてはそれらをしっかりと守っていたそうです。なるほど、やはり慣れない土地を不自由な言語で旅をするわけですから、そういう自戒は大切なことだと思いました。
さて、せっかくなので登世子さんが今まで訪ねた約60ヵ国(今回の旅に限らず)の中で、印象に残っている場所を何カ所か伺ってみました。まず住んでもいいと思った街はノルウェーの首都オスロ。美しい町並みに感動したそうです。ムンクがあの有名な作品「叫び」を描いた場所も見に行きました。エクアドルのキトもとても素敵な街でした。
景色としては、フィンランドなどで見た白夜の風景が忘れられないそうです。沈みそうで沈まない地平線を転がるように動く太陽が神秘的でした。すごく胸が痛くなったのは、ドイツでベルリンの壁の跡地を見た時です。悲惨な戦争のせいで国が分断され、この場所でも多くの方が亡くなったことを思うと、笑顔で記念写真を撮るような気持ちにはとてもなれなかったそうです。
その他にも、たくさんの印象に残っている場所をお話してもらいましたが、紙面の関係で全てお伝えすることができないのが残念です。しかし、そもそも登世子さんは、どうして世界一周旅行などという途方もないことを考え、それを実行に移されたのでしょうか。
登世子さんが若い頃は、世の中全体が今よりもずっと忙しかった時代でしたが、特に彼女は旅館という特殊な環境に嫁いだことから、それこそ昼も夜もないくらいに働かなければならなかったそうです。それで何とか暮らせたのだから「ありがたい」と思っていましたが、それでも少しは日々の生活の中に心の余裕を作って、文化や歴史や芸術などにふれあいたいという思いがいつもあったそうです。
登世子さん「ですから、子どもの植物図鑑を見て花や木の名前を覚えるようにしたり、どんなに疲れていてもたとえ10分でも本を読むようにしようとか、そのくらいの心意気がないと人生は楽しめないと思って頑張ってきました」
とのこと。ご主人とも「いつか自分達の時間がとれるようになったら、世界を旅行して見聞を広げよう」と話していたそうです。そして家督を譲って最初はツアーを利用して2人で旅を始めたのですが、残念なことにご主人は平成20年にご逝去。しかしご主人の夢も一緒に乗せて、登世子さんはその後は1人旅で海外を巡るようになったのです。
しかも、だんだん旅を重ねて慣れてくるにつれて、ありきたりなツアーの旅が物足りなくなってきた登世子さんは、自分で計画を立ててあちこちを回るようになり、その集大成が「80歳世界一周旅行」だったというわけなのです。
「初めての土地に行けば、電車の乗り換えやちょっとした買い物でさえ楽しい。体験の全てが自分の幅を広げ大きくしてくれる。知らないことがわかる、新しいことを学ぶというのは本当に素敵なことじゃないですか」と登世子さんは目を輝かせます。「さすがに海外の1人旅はもう無理かもしれない」といいつつも、国内にも行ってみたいところがまだたくさんあるそうです。
また、ご自分が海外でたくさんの人に親切にしてもらって感動をした経験から、今度は逆に海外から日本に来た人達に親切の恩返しをしたい。登世子さんはそのような新しい目標も持っています。「そのためには言葉ももう少ししゃべれるようにならないと」とのことで、登世子さんの探検はまだまだ終わりそうにありません。
最後に、この記事をお読みくださっているシニア世代の方々にメッセージをお願いしました。
登世子さん「年寄りの特権を利用してもっと飛び出してもらいたいと思いますね。私はごく簡単な動詞と単語とジェスチャーだけで世界を歩けたんで、皆さんの方が私よりずっと上だと思いますから、ぜひ世界を見てきてもらいたいと思います。ちょっとばかりお金を残したところで、若い人はああこれだけかと思うだけで、お金は自分にかけるべきですよ」
筆者も、若かりし頃バックパック一つで外国をさまよい歩いていた経験があるので、いろいろと共感するところの多い楽しい取材でした。登世子さんのますますのご健康とご活躍を心よりお祈りします。合掌
取 材:生きがい特派員 丸山 敬(西部地域担当)