2021/04/07
装い新たな駿府城公園の「静岡まつり」
1-1静岡まつり 正面入り口
1-2出店が並ぶ芸場への道
1 今年の「静岡まつり」の光景
第65回静岡まつりが令和3年4月2日(金)から4日(日)の3日間、駿府城公園を中心に開催されました。今年は昨年が新型コロナウイルスの影響で中止となり2年ぶりの開催となりました。2年間で駿府城公園は幾つか変わりました。第1に、二の丸の南東隅にある巽櫓とその隣の東御門にある展示場がリニューアルし、東御門橋が架け替えになりました。第2に、3月下旬から葵舟という二の丸堀を、一周する観光舟が運航されるようになりました。第3に、4年間にわたる天守台発掘調査が1年前におわり、発掘完了後の天守台を囲む堀や天守台発掘現場を外から見ることができるようになりました。
規模を縮小して行われ、1-1の写真のように、出入口は中央を分離帯で仕切られ、入り口にはアルコール消毒液が置かれ、検温をしてからの入場になっていました。この出入口の写真を撮ったのは平日の2日(金)ということもあってか、比較的空いていました。1-2の写真は4日(日)の小雨がぱらつき出す、少し前の時間に来場者のクローズ・アップを避け気味に撮りました。
2-1東御門の新しい橋
2-2メインの演芸場
2 メイン会場の駿府城公園
2-1は出入口の一つの東御門橋を内側から撮りました。この場所は周囲を櫓に囲まれた構造であることから桝形門(ますがたもん)と呼ばれ、90度曲がらないと中に入れず様々な仕掛けが施された堅牢な門です。令和3年4月1日(木)にリニュアルオープンしたのが、この上の建物の中の資料館です。静岡市は歴史文化施設(仮称)の建設を県庁の東側に建設を進めていて、令和3年4月にオープンの予定です。東御門・巽は歴史文化施設の、別館的な位置づけをされていて、徳川家康が築いた「駿府城の一生」を語る展示を目論んでいると説明しています。静岡まつりは、東御門・巽のお披露目のようなタイミングで実施されることになりました。
この門をくぐって、北の方向に進んだ所に静岡まつりのメインの演芸場があり、4日(日)も2-2の写真のように楽器の演奏が行なわれ、そのほか歌や踊りが入れ代わり立ち代わり行われていました。観客席の周りや通路の両脇には、さまざまな食べ物や飲み物を商う店が軒を並べて設けられていました。あいにく正午ごろから小雨が降り出す空模様でしたが、子ども連れの家族や若者たちを始め、昔を懐かしむように年配者の姿も多くあり、祭特有の開放感のある雰囲気で賑わっていました。
3-1出航する葵舟
3-2サクラ吹雪の下を通る葵舟
3 駿府城公園囲むお堀を運航する葵舟
令和3年3月20日(土)に田辺静岡市長らが出席して就航記念式典が行われ、静岡まつりに合わせる形で令和3年3月27日(土)から本格運航を開始しました。今年は季節の巡りが早くて、すでに桜が盛りを迎えていました。二の丸堀に、定期的に観光舟が運航するのは初めてのことで、駿府城公園を中心に静岡の歴史や文化を盛り上げようとする静岡市の意気込みが感じられます。舟は2艘使い二の丸堀を1周する行程で行われ、40分程の所要時間になっています。運行日は原則土・日・祝日のみで、運航時間は9時から17時まで30分間隔で運航される予定です。舟には船頭の他、ガイドと安全補助員が各1人ずつ乗り込むことになっています。乗客は新型コロナウイルスの影響で6人定員としています。単に舟からの景色を楽しめるだけでなく、静岡の歴史や文化についてガイドが説明をしますし、クイズの時間もありさまざまな趣向が凝らされています。
先月下旬に運航を開始以来好評でして、毎回満席の盛況ぶりです。静岡まつりの期間中も運行され、予約で時間待ちの状態だと当日会場で聞きました。江戸時代に作られた、駿府城のお堀の周りを舟で巡れるという懐古的な気分が味わえるという期待があるのでしょうか、老若男女から人気があるようです。折よく桜の季節で、早めに咲いた花は、まつりの頃には散り始めていてそれなりの風情が味わえました。
4-1造られた時代が異なる天守台発掘現場
4-2天守台発掘現場での説明風景
4 発掘された駿府城の天守台
駿府城公園を所有する静岡市は、2016年8月から2020年3月まで天守台の発掘調査を行ないました。これは整備方針を決定するため堀の石垣の状況等学術的な観点で行なわれたものです。これまでの調査で、この場所には慶長期に徳川家康が城を構えていたことは分かっていましたが、今回はそのことに加え天正期の家康の城や、今川の館についても発掘調査が進められました。天正期の天守台からは金箔の瓦が発見され、東御門の資料館に展示されています。その北側からは今川時代の薬研堀(やげんぼり)も発見され収穫の多い発掘でした。
発掘作業期間中、一般の市民や観光客などにも見学を開放していて、「きゃっしる」という臨時の展示場を設けて説明しています。静岡まつりの期間中も、オープンして対応していました。まつりのついでに寄った人や散歩ながらの市民の方や、県外からの城マニアや、観光客などで入場者は途切れることなく続きました。天守台の大きさでは日本一といわれるその規模に、多くの人は目を奪われたようです。しかも全国でも珍しく同じ場所で、時代の違う天守台を比較して見られるということで、熱心にガイドに質問をしたりしていました。
5-1流鏑馬
5-2流鏑馬
5 まつりの会場で行われた流鏑馬
流鏑馬(やぶさめ)と聞いて、馬上から弓を放つ動作が見られると楽しみにしていましたが、静岡まつりでの流鏑馬は地上に立って矢を射っていました。流鏑馬の会場には静岡まつりの来場者で賑わっていましたので、安全性を考慮してかと思いますが地面に立って弓を引く姿からは、あの躍動感あふれる情景が見られず残念でした。しかし、流鏑馬の装束をつけての姿や、物々しい振舞いからは雰囲気が伝わってきました。聞くところによると、昔は静岡浅間神社で年2回定期的に催されていたとのことでした。今川義元は「東海一の弓取り」と称されていたといわれていますので、当時は実戦さながら盛んに行われていたことでしょう。
同じ4日の3時過ぎから火縄銃演武も行われました。時間の関係で直接見物はできませんでしたが、出演した人と待機しているときに会って話をすることができました。既に装束を身にまとっていまして、背中には「駿河鉄砲衆」と大きく書かれていました。駿河と表示されていたので、静岡の人かと思いましたが、富士市に在住とのことでした。今回の出場者には地元の静岡市の人は一人もいなくて、ほとんどが富士市民でその他富士宮が1人と、浜松からの2~3人を合わせて11人構成とのことでした。時々全国大会も開催されるそうで、2年ほど前には日本への鉄砲伝来の地である種子島で盛大に開かれたとのことでした。
静岡まつりの最終日の4日(日)はあいにくの天気となりました。正午前後から断続的に降り出した小雨は、火縄銃の火薬も湿らせ、フィナーレの手筒花火にも降り注いだけれども、降りしきる雨の中を手筒花火は勢いよく、しかも華やかに夜空を明るく照らして、鬱陶しいコロナ禍のまつりを締めくくってくれました。
取材:静岡地区担当 生きがい特派員 早川和男